2015-04-23 第189回国会 衆議院 議院運営委員会新たな国立公文書館に関する小委員会 第1号
ちなみに、憲政記念館につきましては、建物は、尾崎財団という尾崎行雄先生の関係する財団が建物の所有者ですか。ですから、当然、関係してくるわけであります。 そうではないんですか。間違えていたらおっしゃってください。
ちなみに、憲政記念館につきましては、建物は、尾崎財団という尾崎行雄先生の関係する財団が建物の所有者ですか。ですから、当然、関係してくるわけであります。 そうではないんですか。間違えていたらおっしゃってください。
憲政の神様、議会政治の父と呼ばれた尾崎行雄先生が、投票の心得九か条というものを示し、その中でこうおっしゃっています。いやしくも公約を裏切った政党や議員に対しては、次の選挙のときに絶対に投票してやらぬことを覚悟すれば、政党も議員も完全に有権者によってリードせらるるようになると。総理、この言葉を踏まえても、今回、消費増税法案を通したら、堂々と国民の審判を仰ぐべきであります。
○加藤修一君 野党の時代に総理は、偉大な先達である尾崎行雄先生は「わが遺言」の中で、「真実の、合理的なそして良心的な政治をつくれ」と言われましたと、日本の危機を乗り越えるためにも、今こそ良心的な政治という言葉を国会議員すべて、特に与党の皆さんがいま一度かみしめるべきと考えますと、このように追及しているわけでありますけれども、極めて違いがあるんじゃないでしょうか、今の行動と。
偉大な先達である尾崎行雄先生は、「わが遺言」の中で、「真実の、合理的なそして良心的な政治をつくれ」と言われました。日本の危機を乗り越えるためにも、今こそ、良心的な政治という言葉を国会議員すべて、特に与党の皆さんがいま一度かみしめるべきではありませんか。 国民の皆さんの審判によって参議院で野党が多数を占めて以来、衆議院における三分の二議席を利用した与党による再議決が繰り返されています。
祖父川崎克は尾崎行雄先生のご指導により大正四年(一九一五年)国政に参画させていただきました。私も多くの先輩、同僚各位のご指導を賜りました。お陰で今日を迎えることができました。ここに重ねて御礼申し上げます。 三代で三四回の総選挙を戦う中で五回の敗戦を経験致しました。敗れたときに励まして下さった人の心の暖かさを改めて感じ、その力をバネに今日まで国政に参画させていただいて参りました。
私は尊敬している松村謙三先生とか尾崎行雄先生とか、そして最近私が見ておりました本の中に吉田元首相のお書きになったのがあるのですが、その一文の中に、高知でございますから、向こうの商工会議所の会頭である西山さんが書かれているのです。「私に投票したのは高知県民だが、当選の瞬間から国会議員です。県内の問題は、知事や県会議員の仕事です。」と吉田さんはずっと言われた。
憲政の神様と言われた尾崎行雄先生の「議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である」との言葉を教訓として、私たち政治家一人一人がよりよき政治の実現について努力するべきだと思います。 最後に、所得税減税実施について政府・与党は約束を守るよう重ねて要求し、私の反対討論といたします。 なお、日本共産党提出の動議については、見解を異にしますので、反対であります。 以上。(拍手)
昔、尾崎行雄先生だったかだれだったか、ちょっと私覚えていないけれども、有名な政治家ですよ、その政治家が何を言ぅた。勅語を弾丸に使い、玉座を胸壁に使うということはけしからぬと言って、時の政府を弾劾演説をした人がおりますよ、それは何か国会で懲罰を受けたらしいけれども。帝国憲法の時代でさえ天皇を使うなという考え方があったのですよ。だから、狭い意味の党利党略の政治的な意味ではそれはだめですよ。
○春日委員 この問題について、戦後初めて憲法が公布されましたとき、憲政の神様尾崎行雄先生の本会議における演説の中にこういう記録が残されております。それは、六十九条に基づいた内閣不信任案が成立したときは、内閣は総辞職するよりほかに道のないものである、そんな内閣を解散するなんてとんでもないことだ、こういうことが尾崎先生によって論断されております。
私の選挙区の尾崎行雄先生が特別表彰を最初に受けられたわけでありまして、第二番目に三木武夫先生が特別表彰を受けられた。これは五十年以上在職して憲政上特に功績顕著な者に本会議において表彰議決をする、こういうことに相なっておるわけでございます。 そこでお尋ねしたいのは、国会の、立法府としての表彰として、私もここに額がかかっておりますけれども二十五年表彰を五十八年の二月十日に受けたわけでございます。
(拍手) さて、日本国憲法施行四十周年のこの国会の質問を終えるに当たって、私は、明治、大正、昭和とその生涯を憲政のためにささけられた尾崎行雄先生の演説を振り返りたいのであります。 戦前の風雲急を告げる昭和十二年、政府の軍備拡張と増税案に反対する辞世を懐にしての演説の一節であります。
(拍手) 君はあのころ、このようにして新進気鋭の議員として、鋭い弁舌とたくましい行動力で勇壮活発な議会活動を展開しておられましたが、それは、君の著作に述懐されておるとおり、すなわち、君が私淑された尾崎行雄先生の厳しい教訓たる「私心なく、清い心で決断と実行を」をモットーに切磋琢磨されたたまものと言えましょう。
私は、今尾崎行雄先生の「憲政の危機」の一文を想起するのであります。先生は、「議会は言論を闘わし、事実と道理の有無、正邪曲直の区別を明らかにし、もって国家民衆の福利を図るためにある。
点は与野党挙げて、十分に日本憲法の精神というものをわからないで、三百代言的な論理、哲学を持たず憂いを持たず、国民の望むところをその中に表示しないで、国の最高機関で多数決で決めればそれでもって憲法改正にもつながるものだというようなたわけたことを言っている限りにおいては、憲法の精神を理解したことにはならないのですから、私は最高機関としての国会というものをそのように悪用することはならぬということは、尾崎行雄先生
私はこれからも、郷土の大先輩尾崎行雄先生や濱田國松先生の遺訓を胸に刻み、真面目な政治家として国事にお尽し申し上げる決意であります。 今後も何卒宜しく御指導下さいますよう御願い申し上げまして、御礼の言葉と致します。
これがあの敗戦の直後の国会で尾崎行雄先生の提案なんです。ところが、私、これをGSへお使いに行った一人でございますが、GHQはこいつをオーケーしてくれなかったことはおわかりで、せっかく出した決議案が第一号で審議未了になった歴史的な決議案です。 これを担当したときに、尾崎先生が、おれが出したこれが認められないような占領軍とはと嘆かれて、涙をぼろぼろ流しておられた、覚えています。
私はこの席で申し上げるのは大変どうかと思うのですけれども、現実の事実を披瀝したいのですが、私、昭和二十二年に初めて議員になったときに、尾崎行雄先生のグループにおったのです。無所属の第一議員倶楽部、尾崎先生が会長で、そのときに十七人おった。そのときに尾崎先生が冗談という意味ではありましたが、非常にいい着想の発言があったのです。いまでも記憶に残っている。
憲政の神様と言われた故尾崎行雄先生が「憲政の危機」という中で「元來議會なるものは、言論を戦はし、事實と道理の有無を封照し、正邪曲直の區別を明かにし、以て國家民衆の幅利を計るが爲に開くのである。而して投票の結果が如何に多数でも、邪を韓じて正となし、曲を變じて直と爲す事は出來ない。
かつて憲政の神とまであがめられた尾崎行雄先生が、大正二年、あの二個師団増設の問題や何かをめぐって軍部が政権をとり、明治天皇がなくなられて大正に改元するどさくさに、府中から入って政権を握った桂内閣に対して、尾崎行雄さんは帝国憲法の時代に、「彼らは忠君愛国を自分の一手専売のごとく唱えておりますが、そのなすところを見れば、常に玉座の陰に隠れて政敵を狙撃するがごとき挙動をとっているのである。
その昔、大正四年でしたか、大隈内閣のときに、あのわれわれが尊敬する尾崎行雄先生が司法大臣のときに、例の大浦内相の議員買収事件が起こりました。記録、文献によりますと、平沼騏一郎検事総長と協議の結果、政界を去り、引退し、謹慎する、こういうところまで内務大臣が言って、ここで諸般の追及手続が遮断されております。同僚であり、お互い個人として信頼する仲で、情においてはそれはほんとうに忍びない。