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43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2012-07-13 第180回国会 参議院 本会議 第20号

憲政神様議会政治の父と呼ばれた尾崎行雄先生が、投票の心得九か条というものを示し、その中でこうおっしゃっています。いやしくも公約を裏切った政党議員に対しては、次の選挙のときに絶対に投票してやらぬことを覚悟すれば、政党議員も完全に有権者によってリードせらるるようになると。総理、この言葉を踏まえても、今回、消費増税法案を通したら、堂々と国民審判を仰ぐべきであります。

愛知治郎

2010-03-24 第174回国会 参議院 予算委員会 第16号

加藤修一君 野党時代総理は、偉大な先達である尾崎行雄先生は「わが遺言」の中で、「真実の、合理的なそして良心的な政治をつくれ」と言われましたと、日本危機を乗り越えるためにも、今こそ良心的な政治という言葉国会議員すべて、特に与党皆さんがいま一度かみしめるべきと考えますと、このように追及しているわけでありますけれども、極めて違いがあるんじゃないでしょうか、今の行動と。

加藤修一

2009-01-29 第171回国会 衆議院 本会議 第7号

偉大な先達である尾崎行雄先生は、「わが遺言」の中で、「真実の、合理的なそして良心的な政治をつくれ」と言われました。日本危機を乗り越えるためにも、今こそ、良心的な政治という言葉国会議員すべて、特に与党皆さんがいま一度かみしめるべきではありませんか。  国民皆さん審判によって参議院で野党が多数を占めて以来、衆議院における三分の二議席を利用した与党による再議決が繰り返されています。  

鳩山由紀夫

2007-11-06 第168回国会 衆議院 本会議 第9号

祖父川崎克尾崎行雄先生のご指導により大正四年(一九一五年)国政に参画させていただきました。私も多くの先輩同僚各位のご指導を賜りました。お陰で今日を迎えることができました。ここに重ねて御礼申し上げます。   三代で三四回の総選挙を戦う中で五回の敗戦を経験致しました。敗れたときに励まして下さった人の心の暖かさを改めて感じ、その力をバネに今日まで国政に参画させていただいて参りました。   

河野洋平

1993-04-15 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第6号

私は尊敬している松村謙三先生とか尾崎行雄先生とか、そして最近私が見ておりました本の中に吉田元首相のお書きになったのがあるのですが、その一文の中に、高知でございますから、向こうの商工会議所の会頭である西山さんが書かれているのです。「私に投票したのは高知県民だが、当選の瞬間から国会議員です。県内の問題は、知事や県会議員の仕事です。」と吉田さんはずっと言われた。  

土井たか子

1993-03-06 第126回国会 衆議院 予算委員会 第19号

憲政神様と言われた尾崎行雄先生の「議事堂とは名ばかりで、実は表決堂である」との言葉教訓として、私たち政治家一人一人がよりよき政治の実現について努力するべきだと思います。  最後に、所得税減税実施について政府与党は約束を守るよう重ねて要求し、私の反対討論といたします。  なお、日本共産党提出の動議については、見解を異にしますので、反対であります。  以上。(拍手

中野寛成

1990-05-30 第118回国会 衆議院 法務委員会 第6号

昔、尾崎行雄先生だったかだれだったか、ちょっと私覚えていないけれども、有名な政治家ですよ、その政治家が何を言ぅた。勅語を弾丸に使い、玉座を胸壁に使うということはけしからぬと言って、時の政府弾劾演説をした人がおりますよ、それは何か国会で懲罰を受けたらしいけれども。帝国憲法時代でさえ天皇を使うなという考え方があったのですよ。だから、狭い意味党利党略政治的な意味ではそれはだめですよ。

小森龍邦

1988-02-05 第112回国会 衆議院 予算委員会 第6号

春日委員 この問題について、戦後初めて憲法が公布されましたとき、憲政神様尾崎行雄先生の本会議における演説の中にこういう記録が残されております。それは、六十九条に基づいた内閣不信任案が成立したときは、内閣は総辞職するよりほかに道のないものである、そんな内閣を解散するなんてとんでもないことだ、こういうことが尾崎先生によって論断されております。

春日一幸

1987-05-14 第108回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

私の選挙区の尾崎行雄先生特別表彰を最初に受けられたわけでありまして、第二番目に三木武夫先生特別表彰を受けられた。これは五十年以上在職して憲政上特に功績顕著な者に本会議において表彰議決をする、こういうことに相なっておるわけでございます。  そこでお尋ねしたいのは、国会の、立法府としての表彰として、私もここに額がかかっておりますけれども二十五年表彰を五十八年の二月十日に受けたわけでございます。

角屋堅次郎

1985-11-26 第103回国会 衆議院 本会議 第7号

拍手)  君はあのころ、このようにして新進気鋭議員として、鋭い弁舌とたくましい行動力で勇壮活発な議会活動を展開しておられましたが、それは、君の著作に述懐されておるとおり、すなわち、君が私淑された尾崎行雄先生の厳しい教訓たる「私心なく、清い心で決断と実行を」をモットーに切磋琢磨されたたまものと言えましょう。  

春日一幸

1982-04-20 第96回国会 参議院 外務委員会 第7号

点は与野党挙げて、十分に日本憲法精神というものをわからないで、三百代言的な論理、哲学を持たず憂いを持たず、国民の望むところをその中に表示しないで、国の最高機関で多数決で決めればそれでもって憲法改正にもつながるものだというようなたわけたことを言っている限りにおいては、憲法精神を理解したことにはならないのですから、私は最高機関としての国会というものをそのように悪用することはならぬということは、尾崎行雄先生

戸叶武

1976-05-17 第77回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

これがあの敗戦の直後の国会尾崎行雄先生の提案なんです。ところが、私、これをGSへお使いに行った一人でございますが、GHQはこいつをオーケーしてくれなかったことはおわかりで、せっかく出した決議案が第一号で審議未了になった歴史的な決議案です。  これを担当したときに、尾崎先生が、おれが出したこれが認められないような占領軍とはと嘆かれて、涙をぼろぼろ流しておられた、覚えています。

受田新吉

1976-05-14 第77回国会 衆議院 文教委員会 第6号

私はこの席で申し上げるのは大変どうかと思うのですけれども、現実の事実を披瀝したいのですが、私、昭和二十二年に初めて議員になったときに、尾崎行雄先生のグループにおったのです。無所属の第一議員倶楽部尾崎先生が会長で、そのときに十七人おった。そのときに尾崎先生が冗談という意味ではありましたが、非常にいい着想の発言があったのです。いまでも記憶に残っている。

受田新吉

1974-04-02 第72回国会 参議院 内閣委員会 第11号

かつて憲政の神とまであがめられた尾崎行雄先生が、大正二年、あの二個師団増設の問題や何かをめぐって軍部が政権をとり、明治天皇がなくなられて大正に改元するどさくさに、府中から入って政権を握った桂内閣に対して、尾崎行雄さんは帝国憲法時代に、「彼らは忠君愛国を自分の一手専売のごとく唱えておりますが、そのなすところを見れば、常に玉座の陰に隠れて政敵を狙撃するがごとき挙動をとっているのである。

戸叶武

1971-02-16 第65回国会 衆議院 予算委員会 第13号

その昔、大正四年でしたか、大隈内閣のときに、あのわれわれが尊敬する尾崎行雄先生司法大臣のときに、例の大浦内相議員買収事件が起こりました。記録、文献によりますと、平沼騏一郎検事総長と協議の結果、政界を去り、引退し、謹慎する、こういうところまで内務大臣が言って、ここで諸般の追及手続が遮断されております。同僚であり、お互い個人として信頼する仲で、情においてはそれはほんとうに忍びない。

吉田賢一